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NUA OB

長縄貴人

ながなわ たかひと

株式会社 バロック 代表取締役

二人とも1987年生まれ
1980年
岐阜県生まれ
2003年
美術学部デザイン科 スペースデザインコース卒業
大学卒業後、設計、施工会社に勤務
2008年
会社再建に尽力、認められて取締役に
2012年
独立、株式会社バロック立ち上げ

住宅、店舗の新築・リノベーションを主に、オリジナル家具、雑貨制作販売、服飾制作販売、グラフィック事業、webデザイン制作、ディスプレイ全般など幅広い事業を手がける

欲張って頑張って、喜んでもらおう

 一宮市の某所、施工中の店舗にお伺いした。古い織物工場をアパレルショップへとリノベーションするという。ゴツッ、ゴツッと足音が響く厚みのある板張りの床。織機が置かれていたと思しき場所は、コンクリートがむき出しである。壁の半分には石膏ボードが貼られ新しくなるのだが、残りの半分は鉄骨が剥き出しのままで、織機の配電盤やスイッチがそのまま残されている。古いものと新しいものが混在することによって引き起こる化学反応を楽しむためのスペースだと説明する。新旧が共存する空間は、織物工場だったというショップのルーツも雄弁に物語る。打ち合わせに訪れていた施主さん、工務店の方にテキパキと説明し、細部について意見を交わす。迷いなく判断し、説明する姿は、ハキハキと気持ちよく、強いリーダーシップを感じさせる。「人たらしなんですよね。人が好き。どこまでいっても最後は人。相手が人じゃないと面白くないですよ」笑顔で話してくれた。

 デザイナーという仕事を意識したのは小学生の頃。グラフィックの仕事に就いていた叔父のアトリエを見て「こういう世界があるんだ」と知ったというから早熟である。小学校の卒業文集には、デザイナーになりたいと書いたという。そのまま順風満帆に進むかといえば、そうならないのが世の常。父親は学生に剣道を教えていて、大学に入るまでは剣道漬けの日々だったという。「高校2年生のときに岐阜県選手権大会で優勝したんですよ。ずっと剣道をやってきて、父親としては、警察官か学校の教員になって全日本選手権に出て活躍して欲しい、警察になれとか教員になれと、よく言われました。でも、剣道で来た推薦は断ってしまって、画塾に行って芸大に入ろうと」 では、一途に絵の道へというと、これもまた違う。一途でもあり、行き当たりばったりでもあり、でも、そこが人を魅了することにつながっている。そして、デザイナーとして進む決定的な出来事が起こる。「服にもすごく興味があって、コム・デ・ギャルソンに服を買いに行ったんです。その時、空間の在り方と服の在り方、人の在り方にすごく感銘を受けました。すごくシンプルに空間が作ってあって、あくまでも服が目立つようになっていて、それを着る人が主役であるという、その関係性にすごく感動しました。空間デザイナーっていいなと思いました。それが、きっかけかもしれません。洋服も空間も似てると思うんです。両方、人を包み込んでいて人を際立たせる」 かくしてスペースデザインを専攻するのだが、デザインの在り方については区別はないと話す。ただスペースデザインは空間そのものを考えるため、そこに含まれる要素、グラフィックであったりプロダクトについても考える。「欲張りなんですよ。欲張りがゆえにスペースデザインを選びました」

 卒業したのは、就職氷河期といわれた頃。現在よりも厳しい時代だった。「大学3年生の時に、非常勤講師なった先生がいらして、その人がいた設計会社に入れてもらったんですよ。施工もする会社で、2年間は建築現場にいました。生コンを運んでたし、鉄筋を組んだり、結束もできますし。初めは、僕にできる仕事は何もなくて、最初の半年は無給で働かせて下さいと、給料無しで入れてもらいました。6か月経って現場が楽しくなっちゃって、2年ぐらい現場をやってましたね。どうしてもやりたいことがあるなら6カ月なんて短いことだなと思って、そうやって来ました」 現場から設計部門へ移ると、今度は会社の危機が待っていた。「最初は、先輩たちがやりたくない嫌な仕事をやって勉強してました。そのうち、会社の経営自体が芳しくないことが説明され、多くの先輩たちが会社を去りました。でも、自分にとってはそれが転機で、だったら仕事を増やさないと、と考えました」 設計事務所としては、当時ではまだ珍しかった大々的なオープンハウスを作り、集客のためハウスメーカーの住宅展示場の駐車場でビラ撒きをするなど、なりふり構わぬ行動で会社再建に尽力した。そうしたことが功を奏し、業績は良くなり大きく評価され、やがて独立することへとなっていった。

 「いろいろなことに興味のある人じゃないと駄目ですね。新人でも、次何をやればいいですかと聞いてくるのは子供と同じ。手が空いているのでこれを調べたいんですとか、仕事振って下さいとか、やれることないですかとか、そういう姿勢が大事ですよね。石の上にも三年というじゃないですか。やりたいことがあるなら、3年くらいはそれこそ石にかじりついてでもやらないと。そうすると面白いところがわかってくるものだと思います。逆に3年はやってみないと何もわからないですね。例えば最初の半年でめちゃくちゃつらいことがあっても辞めちゃ駄目ですよね。辞めるのは簡単だけど、続けるのが大事。事業も、経営も同じです」 経営者からの厳しいエールをいただいた。だが、それと同時に「施主さん、オーナーさん、いろんな人に喜んでもらったから今の仕事があります。建築家の中には作品を作るというふうに考えてる人がいますけど、僕は、作品を作るという言い方が好きじゃありません。僕は、家を作る、店を作ってると言っています。より施主さんの個人的なものを作っている感覚です。形に残るものじゃなくてもいいんですよ、人と人とが幸せになるような、そんなことをずっと考えています」 自由闊達、破天荒な行動力も、人が好きだという感情に源があると見えた。「人たらし」というと人を騙すような意味も含んでしまうが、人に魅了されるから人を魅了できるということがよくわかった。

REFEREE

“Felight”
塗る金属「Felight」の商品企画段階から、ロゴデザイン、カタログ、LIVING & DESIGN 2014、HOSPEX JAPAN2014のブースまでデザイン

木と鉄と左官壁の家

AFFICHE

アメリカンスタイルの家

kicori cafe

限りなく白い家

Mellowness House

着心地の良い家

青木内科・眼科

重なり逢う家

スープの美味しい家

作品と言っていいのは、日本画とか洋画とか自分の価値観で描くのが作品。だから商業的なデザイン科は作品と言っちゃ駄目なように思います

就職が駄目だったからって、別にそこで人生が決まるだなんて大げさには思っていなくて、いい企業に入ったからといって別にいい時間は待っていません。それは目先の話しだけであって5年後、10年後どうかと言ったら、やっぱり頑張ったもん勝ちなんですよね。人に俺、頑張ったよって言えるぐらい頑張らないと、駄目なんじゃないのかと思います